2011/01/31

お前はいやしい

  フランスより HAT です。企業は誰のものか?古くて新しい質問だが、これは国、地域によって解答が違ったりする。もちろん、人それぞれ色んな意見があるだろう。

  フランスで学校に通っていると結構、企業の影が見え隠れする。学校のサークル活動には企業がスポンサーとしてついているし、一定数の学生は apprenticeship (見習い)として週2日企業で働いて、3日学校へ行き、全ての費用は企業負担だったりする(KBSでは時間的に無理だな・・・)。

  ESSEC が特殊な学校だからかもしれないが、こちらの正規学生は企業から至れり尽くせりの待遇を受ける。日本やアメリカで学生をしていた時は考えられなかったような状況だ。

  人間不思議なもので、学生のころ企業から良い扱いを受けていると自分が経営者になった時、「自分も助けてもらったから、次の世代にも援助しよう」と思えるらしく、社会としては好ましい姿かもしれない。

  但し、前述の apprenticeship (見習い)にしても、学生支援によって企業が税制上の優遇を受けられることが直接的な要因と考えられる。こんなことを指摘すると、KBSのTS先生から「お前はいやしい」と怒られそうだが。
  
  さて、こちらの授業ではマーケティング、戦略等あらゆる授業で CSR の話が出てくる。「欧州では CSR をしないことは認められない」と豪語する教授もいるくらいで、「CSRが必要かどうか」という議論は余り聞かれない。

  マイクロソフトのビル・ゲイツが様々な慈善事業を行っているが、これも CSR と考えられなくもない。ビル・ゲイツはマイクロソフトの大株主として巨額の配当金を受け取り、それを慈善事業に費やすことでマイクロソフトの宣伝になる。

  ビル・ゲイツは新興国で多くの慈善事業を行っており、「今後の成長が見込める国々へマイクロソフトが進出するための投資だ」と揶揄するメディアもあるくらいだ。アメリカでは寄付行為が税制上控除されることもあり、ビル・ゲイツ本人にとってもマイクロソフトにとっても慈善事業は意味があると考えられる(TS先生の指摘は認識の上だ)。

  さて、CSR の例として面白いと思ったのがカルフールだ。日本では余りうまくいかなかったこの小売りチェーンは南米で大きな成功を収めた。特にコロンビアでは国連と協力して、コカイン農園を小麦や野菜を栽培する土壌に変えたことで知られている。

  コロンビアでは大きな小売り業者がなく、日本でいう商店街のような流通システムになっていたようである。都心から離れた農家は、小麦や野菜を作っても最終消費者まで届けるインフラがなかったため違法な植物栽培に走っていたとのこと。

  カルフールは国連とコロンビア政府と協力して流通インフラを整備し、郊外の農作物を都心のカルフールで販売する仕組みを作り上げたのである。これにより、コカイン農家は合法的な作物を栽培する農家に変身して、コロンビアの違法植物栽培量は劇的に下がったらしい。

  伝統的な小売業者はカルフール登場で大きな痛手を被っただろうし、また以前から農作物を栽培していた人達にも負の影響は及んだだろう。完璧な経営はないと言われるが、CSR の例としてカルフールがコカイン撲滅に一役買ったことは興味深い。

  こちらのスーパーで驚くのは、ブドウ等の果物を買う前に顧客が味見をしていることだ。日本でこれをやると捕まりかねないと思うが、これも文化の違いだろう。いやはや、ところ変われば企業の姿勢、CSR 、味見の仕方等いろんなものが変わるものである。

  

バナナ、ピーナッツ、青汁


  フランスより HAT です。この一年、ほぼ毎日フランスパンを一日一本のペースで食べ続けてきた。実写版「アンパンマン」があれば、私は間違いなくフランスパンマンになれる。

  こちらでの食生活としては、朝にバナナと青汁、昼にサンドイッチ(フランスパン製)、夜はピーナッツと青汁というのが典型例である。昼に食べるサンドイッチが大きいため、夜は少なめになっている。

  青汁は粉末のものを日本から大量に持ち込んだ。過去二回の海外生活で体調管理がうまくいかなかったのは野菜不足が原因であったと分析し、今の部屋は青汁であふれかえっている。

  冷凍青汁、粉末青汁等あらゆる青汁を試してきたことから、フランスで「利き青汁大会」をやったら私は間違いなく優勝できる(出場者は3人くらいしか集まらないだろうが)。

  この2年間、怪我や病気がなかったことが一番良かったことだろう(まだ終わっていないが)。その意味でも、神様、仏様、青汁様である。

  日本に帰ってから一番食べたいものは寿司、飲みたいものは解凍したての冷凍青汁だ。それが実現するまで残り8日。

  

2011/01/28

彼らは我々のために働く


  フランスより HAT です。去年、ボストンに行った時テレビで繰り返し放送されていたCMがあった。内容な以下のようなものだ。

  中国でとある集会が開かれている。演説しているのは毛沢東に似たリーダーと思われる人物。彼は流暢な英語でこう述べた。

  「今や米国債の多くを中国が保有している。言い換えると、アメリカの長期金利をコントロールしているのは我々だ(中央銀行がコントロール可能なのは短期金利だけ)。彼ら(アメリカ)は我々(中国)のために働く。利払いという労働によってね。」

  この演説の後、聴衆は起立して大拍手。話をしていたリーダーはカメラに向かってほくそ笑むというある意味、気味の悪いコマーシャルだ。

  CM の意図としては、膨れ上がる米国の財政赤字への警告だったと思われる。アメリカではこの類の意見広告が結構流れている。経済学者が連名で、中央銀行批判広告を新聞に載せることも一般的だ。

  自分が興味を持ったのは、誰がこの CM のスポンサーかということだ。真っ先に思い浮かんだのは、議会へのロビイストだ。問題は何のためのロビイングなのかという点だろう。

  財政赤字に警報を鳴らすということは、金利が上がると困る人達の可能性が高い(赤字が行きすぎるとどこかでインフレが生じ、金利が上がるから)。

  金利が上がって困る人?銀行じゃないか。現状のゼロ金利によって最も恩恵を受けているのは、利ザヤを稼げる金融機関である。また、金利が上昇すると国債価格は下がるから、米国債を大量保有している金融機関は低金利を望む傾向にある。

  将来的に金利が上がりすぎると利ザヤが取れなくなり、財務上も問題になるからそろそろブレーキをかけましょうということなのか。勝手な自分の仮説だが、皆さんは誰がこの CM のスポンサーだと思われるだろうか?妙案があれば、是非教えて下さい。

   

市場の神


  フランスより HAT です。日本国債格下げのニュースが報じられているが、例によって動きは一時的なもので為替が若干上下したものの、長期金利は変わらずじまい。

  財政破綻論者は「最悪のシナリオ」とまくしたてるが、彼らの殆どは資産を円預金にしているはずで、「俺は日本が破綻してインフレが来ると思うから、預金を全て株式と不動産に移しかえたぜ」と言う人はいない。ここに財政破綻論者の矛盾がある。

  「金利が上がるぞ、日本は破綻するぞ」と15年前から言い続けてきた財政破綻論者もいるが、逆に金利は下がり、デフレが続いている。オオカミ少年は最後にオオカミが来たが、日本破綻がいつ来るか分からず、来ない可能性もあるため、財政破綻論者はオオカミ少年よりたちが悪いかもしれない。

  オオカミ少年は「来ない」と思っていたオオカミが来たが、財政破綻論者は「来る」と思っている日本破綻が中々来ない。世の中うまくいかないものだ。

  さて、いつも思うのだが格付け機関というは不思議なものである。銀行、証券、保険会社等の金融機関は株式、債券等を担保にして様々な融資を行っている。その際、担保となりうるのは格付けがBBB(トリプルB)以上の金融資産で、BB以下になると投資不適格と見られ担保として認められなくなる。

  2007年2月にフランスのBNPパリバが、サブプライム関連ファンドの解約を凍結するまで、主要格付け会社はサブプライム債の殆どを最高位の AAA とランク付けしていた。しかしながら、金融危機が明らかになると手のひらを返したように、格付けを C 以下に変更し、関係者をあぜんとさせたものだ。

  無責任とも言える格付け会社の格付け変更により、サブプライム関連はもちろん不動産関連の株式や債券まで担保として認められなくなるケースが相次ぎ、凄まじい信用収縮が始まった。今回の金融不安のきっかけとなった格付け会社は非難の対象となり、政府による規制が議論された。

  驚くべきことに、格付け機関はどこからも規制を受けていない。仮に米政府が格付け機関に厳しい規制を設け、「危なそうな株式や債券は早めに格下げしろ」と指示を出したとする。その場合、真っ先に格下げを受けるのは米国債であり、これが投資不適格となると世界中の金融機関がつぶれるだろう。「米国債格下げ」という恐怖のナイフを喉元に突き付けられているため、米政府は格付け会社を規制したくてもできないのである。

  日本が大きな財政赤字を抱えているのは確かだが、アメリカも負けておらず、問題は外国人が米国債の大部分を保有していることである。その点からすると、日本国債だけでなく米国債も同時に格下げされるべきだが、格付け機関は米国債の格下げは余程のことがない限りしないだろう。

  格付け機関が米国債を格下げなどした日には、「お前ら誰のおかげで飯を食えてると思ってるんだ」という恐ろしい恫喝を米政府から受けることになり、極端な話、消滅させられる可能性がある。格付け機関は米国債を AAA に保ち、米政府は格付け機関を規制せず、「いい子、いい子」と頭をなでる。日本語では「持ちつ持たれつ」、英語では「give & take」というが、これらの言葉は彼らのためにあるのかもしれない。

  金融機関側にとっても、融資する際の判定基準として格付け会社は必要であるため、政府、民間共に格付け会社に何も言えないのである。誰からも規制されず、「まあこんなもんかな」程度の基準で格付けを決める格付け会社と、「寿司のようなもの」を提供するフランスの日本料理屋の違いを見分けられないのは私だけではないだろう。どちらもやっていることがいいかげんである。

  某国の首相が国債格下げについて、「そういうことに疎い」と発言したとされるがそれも当然だ。なぜならば、格付け機関は誰も触れられない「市場の神」だからである。
  
  

2011/01/27

外貨と外国語

  フランスより HAT です。フランス語はこちらに来るまで全く接したことがなく、英語の次に学んだ第二外国語もフランス語ではなかった。

  しかしながら、この一年でフランス語は第三外国語から第二外国語へ昇格(?)となり、英語の次に理解できる外国語となった。

  前職は外国為替に強い金融機関だったので、身近に有名な為替アナリストやストラテジストがおり、色んな話を聞いていた。その中で面白かったのは、「顧客に外貨を勧める際、重要な点がある。その人がその国が好きか、行ったことがあるか、友人はいるか等である」という話だ。

  私の場合、アメリカとフランスに住んだことで、ドルとユーロを使って生活できた。 実際にその外貨を使ったことがあるかどうかというのは結構重要で、物価水準を確認する上でも大事なのである。

  仮に私がよく知らない国の通貨、南アフリカランド等に投資して急落した場合、どうなるだろうか?恐らく感情的になって、毎日毎日ランドの上下に一喜一憂する可能性が高い。なぜならば、その国の状勢や物価水準等の客観的情報を持ち合わせていないため、金融機関を非難したり、為替介入に消極的な政府を責めたりせざるを得なくなる。

  外国語を学ぶ場合もその国に行ったことがあるか、文化や人々が好きかというのは継続する上で大変重要である。その意味では、私にとってフランス語は外国語として適していると考える。なぜならば、今まで出会った中で一番美しい女性はフランス人だからだ。

  

2011/01/24

アメリカの大いなる田舎者

  
  フランスより HAT です。ビジネス・スクールに行こうと思うにはきっかけがある場合が多いだろうが、私の場合はアメリカでの勤務がきっかけだった。

  当時は債券営業担当だったのだが、同僚8人の内私以外は全員修士号取得者だった。ニューヨークというアメリカでも特異な世界にいたわけだが、そこで修士号がない人は日本における高卒のような立場で、待遇も与えられる仕事も余りおいしくなかった。

  結果的には周りと遜色ない成績を収めたのだが、やはり待遇面では明らかに冷遇されていたと思う。ニューヨークの金融界は修士号取得者が殆どで、取締役には博士号取得者も結構いた。ニューヨーカーは時に「アメリカの大いなる田舎者」と揶揄されるが、彼らにとってニューヨークが世界の中心であり全てであると勘違いしている部分は確かに見受けられた。

  但し、面白かったのはどこのビジネス・スクールを出ているかというのは、それほど重視されなかった点だ。一緒に働いていた人達の殆どが上位校出身ということもあっただろうが、誰がMBAホルダーかということは聞かされても、どの学校出身かというところまで知らなかったように感じる。

  日本の金融界の場合、特に銀行は国立大卒がトップを占めている場合が多い。中でもメガバンクの場合は東大卒が圧倒的に多く、その意味ではどこの学校出身かというは結構重要みたいだ。証券の場合はそうでもなくて、3大証券でも私立大卒の人がトップになっていることもあり、より実績が重視されるのだろう。

  フランスの場合はグランゼコールを出ていることが出世には必須で、それ以外の学校出身者はそもそも大手企業に入る門が閉ざされている場合が多い。グランゼコール出身者は年収70,000ユーロで働き始めるが、それ以外の大卒者は30,000ユーロのスタートということが公然と行われている。この点では日米よりも強い学歴社会で、18歳の時に受ける進学試験「バカロレア」が今後の人生の鍵を握ると言えよう。

  日本の場合、高卒者と大卒者の生涯賃金差が主要国で最も小さいことが確認されており、世界的にみるとそれほど学歴社会ではないと考えられる。日本でビジネススクールが普及しないのはこういった背景もあるのだろうが、海外で修士号取得者が大多数を占める現在においては日本も少しずつ変化していくものと思われる。

  日本の大手企業経営者にもMBAホールダーは増えてきているが、それを言わない場合もあり、これも日本特有だろう。海外の場合、MBAや博士号を持っていれば名刺にそう書いてあることも多く、文化の違いが見てとれる。国や地域が違えば教育への考え方も変わるものだ。

    

エスキモーに氷を売る男


  フランスより HAT です。キャリアを積む上で最初の職場が大切だとする学者が多いが、あながちそれは間違っていない気がする。

  私の場合、富裕層を担当する営業部隊のアシスタントがキャリアのスタートだった。誰でも最初に経験する雑用である伝票作成、電話取り次ぎ、顧客対応が主な業務だったが、同僚が色々な企業出身者だったので面白かった。

  上司だった人が日商岩井(現双日)、その他が日銀、ブリジストン、長銀(現新生銀行)、大和銀行(現りそな)と皆違うところで経験を積んでいた。日本企業出身者の良いところは、新人にちゃんと注意してくれるところだ。

  彼ら自身が厳しく教育されてきたこともあって、言葉遣いや職務に問題があると一つひとつ教えてくれた。自分もそうかもしれないが、外資系企業に最初からいると新人に物事を教えるのがうまくならないことが往々にしてある。

  さて、当時の上司だった人は社内でも有数の敏腕営業マンで、「エスキモーに氷を売る男」と呼ばれていた。半年くらい経って私も顧客訪問を始めたのだが、契約が取れずすごすごと職場に戻ると、「ビジネスはノーと言われた時から始まる。一度断られてもあきらめちゃいかんぞ」と後日一緒に同じ顧客を訪れて仕事を助けてくれるのだった。

  彼から教えられたのは、顧客が「そうだね」とか「なるほど」と頷くような話しかけ方をしろということだった。今だったら、「ドル安いですよね」とか「金利低いですよね」等の話をもちかけ、「そうだね」と頷かせながら本題に入るといったやり方だ。

  本当に効くのだろうかと最初は疑ったものだが、続けていると結構効果的なことが分かり、仕事以外の場面でも使える話術だなと感心したものだ。さすが、エスキモーに氷を売る男である。

  今から考えても、一番最初の部署はとても優秀な人達がそろっていたような気がする。「健康な人間は健康を知らない」というのはユダヤの格言だが、幸せな環境にいるとそれが普通だと人間は思ってしまうようだ。KBS もそうであったように、できるだけ良い人達に囲まれて働きたいものである。

  

2011/01/23

始めること、止めないこと

  
  フランスより HAT です。社会人時代は企業経営者の方とお話する機会が結構あったのだが、一番印象に残っているのは、一代で東証一部上場までこぎつけたある老紳士の方だ。

  当時既に引退されていたので、食事にご一緒させて頂いたりと、どちらが顧客なのか分からないような感じだった。
 
  こちらから、「どうやったらそれほどビジネスで成功できるのでしょうか?」と聞いてみたところ、「HAT 君、そんなの簡単だよ。ビジネスを始めて、止めなければ絶対成功するよ」と答えられた。その後、彼はこうも続けた。「まあ、ビジネスに限らないけど、10年くらい続けると何か見えてくると思うよ」と。

  当時は「なるほど」と頷いていただけだったが、やはり深い言葉だったなぁと未だに彼の笑顔を思い出す。「始める、止めない」と言うのは簡単だが、実際に「止めない」ためには相当の覚悟と準備が必要だ。今から考えると、そういうメッセージも込められていたのではなかろうか。
  
  今まで自分が継続してきたことを考えると、外国語の学習が挙げられる。まだまだ間違えることは多いが、続けていたことで色々な局面で自分にとってプラス作用があったように思われる。今回の留学で接したフランス語も、続けることで新しい局面がいずれ訪れるだろう。

  眠れないので昔のことを思い出したお話でした。

  

ある日系フランス人の話


  フランスより HAT です。2週間前、エセック日本事務所の代表が来仏し、エセックの卒業生、在学生が集まって食事会が催されました。
  
  中々楽しい会でしたが、一番興味深かったのはそこにいた日系フランス人との会話です。彼の両親は日本人だが在仏35年で、彼自身生まれも育ちもフランスパリっ子。見かけも名前も日本人なのだが、国籍はフランスで教育もフランスでずっと受けてきたらしい。
  
  エセックをはじめとするグランゼコールに入るためには高校卒業後、プレップと呼ばれる予備校のようなものに通い、そこでの成績によってどこのグランゼコールに入るかが決まる。彼も他のフランス人と同じようにこのプロセスを経て、エセックに入ってきている。
  
  ちなみに仏企業が採用したがるのは、上記の仕組みを通ってエセックを卒業したフランス人達だ。留学生の多くが、「エセックを卒業してもフランスで仕事がない」と言うのもフランスの特殊な教育システムが原因と考えられる。
  
  慶應もそうかもしれないが、プレップを通ってきたエセックの正規(?)学生は金持ちが多い(まあ、留学生も殆どが金持ちなのだが)。金持ちということは両親が社会的に高い地位にあることを意味し、仏企業はそのコネクションを欲しがる。学生の100%が英語を完全に操れることから元々優秀ではあるが、「コネ社会」であるフランスでは彼らのネットワークが財産なのである。
  
  話が完全にそれたが、日系フランス人の話である。彼がエセックに入った理由はKBSに留学するためだった。IP制度を使って自分のルーツである日本に留学した時、彼の胸は期待に踊っていたという。
  
  しかし、現実のKBS生活は彼にとって大変厳しいものだった。KBS留学当時の2003年、彼は23歳でインターン以外の実務経験はなかった。平均年齢30歳のKBSの授業は発言が活発で、経験がなく日本人ではない彼は非常にとまどったという。
  
  フランスの文化として、「優秀な人間は騒がない」という考えがあるらしく、それはエセックの授業に参加すれば一目瞭然だ。教員が質問しても、「シーン」として誰も顔を上げない時すらある。この状況に慣れていた彼にとって、多くの学生が手を上げている KBS の授業は異様に映ったらしい。
  
  更に彼を悩ませたのはグループワークだ。メールのやり取りだけでプレゼンを作ることもあるエセックに比べて、KBS のグループワークは何時間も延々と続く。それだけ長い時間をかけても結論が出ないこともあり、分担作業に慣れている彼は「これで行きましょう」と最終的に投げやりな態度を取らざるを得なかった。
  
  「自分は顔も名前を日本人。しかも周りは皆年上で経験が豊富。他の留学生は文化が分からないから間違えても許されるけど、自分は許されないんじゃないかと思って悩みましたよ」と冗談交じりに話すが、当時はアイデンティティ・クライシスに陥り相当辛かったと言う。
  
  KBS からエセックに来る側もその違いに驚いたが、その逆はもっと衝撃的だったようだ。彼の場合、日本語ができたため日本語の授業に入ったという特殊事情もあっただろうが、今では「良い経験だった」と感じているらしい。
  
  そんな話をしながら、レストランの人が違うものを持ってきて、「これ頼んでないよ」とフランス語で話す彼を見て、色んな人がいるもんだなぁと改めて感じたパリの夜だった。
  
  

2011/01/22

35時間労働の結末


  フランスより HAT です。フランスは週35時間労働が採用されており、他の先進国が40時間であるのに比べ、5時間少ないのです。

  「週5時間くらいであればそんな変わらないだろう」と思われる方がいるかもしれないが、これは結構な差である。

  こちらではスーパーや銀行も昼休みを取るところが多く、小さな個人商店だと昼の12時から15時まで休憩の場合もある。昨日行った郵便局も12時から14時まで閉まっていた。

  週35時間労働であるため、9時から連続勤務すると16時までしか職場にいられない。その結果、昼休みを長く取ってシフト制をしいたり、時短勤務にして何とか週35時間にしているわけだ。

  週35時間労働が導入されたきっかけは、高止まりする失業率への対策であった。以前、日本でも話題になった「ワークシェアリング」の意図が背景にあったとされる。

  仮に従業員7人の店があって、週40時間労働であれば合計280時間(40×7)の労働がなされていることになる。週35時間労働導入によって、280時間の労働力が必要な店はもう一人雇い、合計8人で280時間労働(35×8)を回すのではないかと政府は考えたようだ。

  しかしながら、結果は裏目に出たようだ。経営者は従業員を7人から8人に増やすのではなく、人員はそのままで前述の通り、営業時間を減らす方策を取った場合が多かったようだ。

  つまり、合計労働時間を280時間で維持するのではなく、営業時間短縮により合計労働時間を245時間(35×7)にする判断をしたわけだ。

  社会全体で見ると、供給が減ることによって経済は縮小し、失業対策で取られたはずの政策が完全に逆の作用を生んだことになる。

  既に仕事がある人にとっては労働時間が短くなっても、給料は変わらないので個人としては良い政策となる。しかし経済全体にとっては負の作用となり、いわゆる合成の誤謬を政府が助長したと言えなくもない。

  では、デフレにあえぐ日本で週35時間労働を導入したらどうなるか?これは自分の勝手な仮説だが、供給過剰状態が緩和されデフレギャップ(需要と供給の差)が縮小する可能性があるため、以外と使える策かもしれない。

  但し、労働時間が短くなっても皆が遊んでお金を使わないと意味がないので、そこは国民性も考えないと駄目なのかなあ。

  まあ、そんなこんなで色々考えたが、皆さんも成功した暁には贅沢してお金を使って下さい。それが一番日本のためになる行動のような気がするな。

  

2011/01/21

はじめ良ければ全てよし?


  フランスより HAT です。面接や恋愛等、人付き合いで大切なのは第一印象と言われるが、国に対しても第一印象は結構重要みたいだ。

  海外に住むのは今回が3回目になるが、最もやりやすい滞在だった。その理由として、エセックの国際交流課担当者の存在が考えられる。

  フランスに来て最初にしたのが、彼女とのランチであり、その後もフランス生活の色々な面で彼女はサポートをしてくれた。最初に接したフランス人が勤勉で優秀であったため、私のフランスに対する印象は出だしから最高潮だった。

  ただ優秀なだけでなく、驚いたのはその美しさだ。彼女に会えただけで、エセックに来たかいがあったと感じたくらいだ(何のこっちゃ)。彼女はおそらく30代後半と思われるが、良い年の取り方をしているのか、大人の魅力が感じられた。自分がロリコンなのか、熟女好きなのかというアイデンティティ・クライシスに陥りそうになるほどだった。

  こちらでは年に一度、「エセック・ナイト」と称して、キャンパスがナイトクラブと化し、夜通しダンス・パーティが続く日がある。そのイベントで目玉となるのは、エセックが誇る10人の美女が下着姿になるファッション・ショーだ(スポンサーはもちろん下着メーカー)。

  多くが20代前半であるエセックでは、この下着ファッション・ショーで男子学生は異様に盛り上がるみたいだ。「HAT も見に行こうぜ」と結構色んな人が誘ってくれたが(なぜかインド人が多かった)、それほど興味をひかれなかったのはやはり年齢差のせいか。「国際交流課の彼女が出るんなら行くのになぁ」と思った自分に、熟女好きの要素を感じるのだった。  

  

2011/01/20

インパール作戦


  フランスより HAT です。日本は世界で最も流通が発達した社会ですが、フランスは郵便や宅配便のシステムがそれほど親切ではありません。
  
  仕事の関係で書類を日本から送ってもらった際、受取人のサインが必要とのことで「不在届け」が郵便受けに入っていました。電話して連絡したところ、「土日は配達していない」とのこと。学校があるので平日夕方以降に持ってきてくれと頼んだところ、「そんなことはできない」との返事。
  
  この場合、選択肢としては二つあった。①指定した日(平日)に一日中部屋にいて、ひたすら荷物の到着を待つ(指定した日なのに来ないこともある)。②片道5kmくらいの郵送センターみたいなところまで、歩いて取りに行く(不便なところで電車やバスは走っていない)。
  
  荷物を受け取るだけでこれだけ大変なのだから、送る場合は更に複雑だ。まず最初に直面するのは、段ボール箱をどこで調達するかだ。スーパーに行けばもらえそうなものだが、くれないところも結構あった。3件目のスーパーでようやくもらうことができた。
  
  次は、段ボール箱を郵便局までどうやってもっていくかだ。日本であれば電話一本で取りに来てくれるが、こちらではそんなサービスはない。家から郵便局までは700、800mあり、しかも上り坂になっている。普通の段ボールでも荷物を入れると10kg近くなり、これを持って坂を歩くのは思いのほか骨の折れる作業だった。
  
  旧日本軍はインパール作戦で、30kg以上の荷物をもって山を登っていたというが、フランスの坂を歩きながら、彼らの苦しみは想像を絶するものだったろうなと感じたものだ。
  
  さて、ようやく郵便局に着いたと思ったら「その段ボールは大きすぎて運べない」と言われ、もう一度寮に帰って二つの箱に分けるというおまけつきだった(マニュアル上は配送可能な大きさなのだが、その女性の担当者が持ち上げられないと判断したみたいだ)。再びスーパーに行って、「小さめの段ボール箱をくれ」というところからやり直しである。
  
  そんなこんなで、日本に荷物を送るだけで丸二日かかった。不思議だったのは、一連の作業中、何を言われても腹を立てることなく、「そうなのか」と感情的になることなく、手続きをした点である。ドストエフスキーは「人間はどんな環境にも慣れる」と言ったが、フランスでの生活には結構当てはまるようで、慣れれば慣れるものである。
  
  結局、引越し作業や一連の手続きが予想以上に煩雑なため、アジアカップ観戦はおあずけとなった。その代りにインターネットで試合を観戦し、こちらでの最後の月を楽しんでいる日々である。
  
  フランスは不便なように見えるかもしれないが、日本とは逆で「供給不足社会」なので、デフレに陥る可能性は低いようにみえる。あらゆるサービスがある日本の生活は便利だが、供給過剰が行きすぎてデフレに苦しんでいる姿にフランス人はどう感じるのだろう。
  
  そんなことを考えた晴れた日の午後でした。
  

2011/01/17

こりない人達


  フランスより HAT です。こちらでは時折、「恐怖によるマーケティング」という単語が出てきますが、これは結構日常目の当たりにする戦法です。
  
  一般的なものは限定商品でしょう。「今買わなければ後で買えませんよ」、「今だけですよ」等のセールストークが様々な場所で飛び交う。不動産取引でもこの手法は取られていて、「この物件は今決めないと、すぐなくなりますよ」というセリフも聞きなれたものだ。
  
  自分が所属していた組織がこの手法を使ったのは、2002年で当時は日本が金融不安の最高潮にあった。その頃は経営体力があった外資系金融機関は、「預金封鎖」等という法律スレスレの単語を使い、日本の金融機関に資産を預けることがいかに危険かということを偉そうに語っていたものだ。
  
  時は流れ2008年になると、逆に外資系金融機関が危ないという話になる。悪いことはできないもので、今度は日本の金融機関が「外資は危ないですよ」というセールスをはじめ、日本にあった外資系金融機関は多くの資産を失った。因果応報はマーケティングにも当てはまるようで、競争相手を対象にした「恐怖マーケティング」は避けた方がよさそうである。
  
  まあ、外資系金融の人達はこりないので、ほとぼりがさめたらまたやりそうだな。
  
  

子供手当と金利


  フランスより HAT です。改造、再改造とラジコン・カーの様に改造される管内閣。この3月末にかけて、予算関連法案をどのようにして成立させるかが鍵となっています。

  さて、昨年度に肝いりで始まった子供手当。これも時限立法のため、関連法案が国会を通らなければ廃案となり、児童手当が復活する可能性も出てきました。

  現金支給は経済政策として殆ど効力がないことは証明済みでありながら、これに振り回され実務を取り仕切る地方役所はたまったものではないでしょう。子供手当がどのように使われたかはこれから統計が出てくるでしょうが、日本の場合、二つの使われ方があると思います。

  ローンがある家計はその返済に使い、ない家計は貯蓄に回す。ローン返済と貯蓄はデフレ経済下においては最も合理的な行動で、個人の行動としては全く間違っていません。しかしながら、全員でやると更にデフレに陥るといういわゆる「合成の誤謬」になりかねない行動でもあるのです。

  逆にインフレの時に現金支給すると、早く物を買うことが合理的な行動になることから消費が刺激され、更にインフレを加速させる可能性がある。これらの理由から、現金支給が「最悪の経済政策」と言われるのである。

  現政権は国債を発行して子供手当を支給していることから、デフレ推進政策を取っているに等しく、再度「デフレ宣言」が出されたのは至極当然とも考えられる。また、政権交代がなされた2009年後半から、八ッ場ダムをはじめとする公共事業の執行停止がなされ、必然的に国内のデフレ・ギャップ(需要と供給の差)は広がることになった。その証拠として、日本の長期金利は昨年再び1%を割り込んだのである。

  日本の場合、政治家が金利状況を含めながら国民に説明をすることは稀である(麻生元首相は時々言ってたな)。一方、アメリカの政治家は結構金利を気にしていて、演説等でも話に出したりする。アメリカでは金利が下がると住宅ローンの借り換えをすることが一般的なので、政治家にとっても金利動向が重要なのかもしれない。

  また、財政赤字の絶対額の大きさを論じてギリシャと同等視する識者もいるが、ここでも金利の話は余り出ない。ギリシャは金利が急上昇(国債価格は暴落)していたため、財政再建するのは当たり前の話だった。

  今後も消費税を含めて様々な話が出てくるであろうが、金利と絡めると経済政策のとらえ方が面白くなってくる。「日本の財政は危機的状況だから、消費税を上げなければならない」という考えは至極まっとうに聞こえるが、本当だろうか?

  1997年にも同じスローガンで政府は消費税を上げたが、結果として財政再建どころか、名目的にも実質的にも財政赤字は増えた。当時も赤字の絶対額だけが議論され、金利の話は殆どなかった。子供手当等の経済政策についても、是非金利と絡めて議論して欲しいものである。

    

2011/01/16

それでも金融不安は続く


  フランスより HAT です。アメリカからの留学生に時々遭遇しますが、数的には大変少ないです。リーマンショック後のドル安によって、アメリカ人の購買力が低下したこともあるだろうが、やはりフランスとの仲が余り良くないことも含まれるのか。

  サンダーバードから来たアメリカ人留学生は元々西海岸出身だったそうだが、ニューヨーク等の東海岸で仕事を探すとのこと。その理由として、やはりカルフォルニア経済の不振が挙げられるらしい。マンハッタン等は例外として、まだアメリカの不動産市況は思わしくないようである。

  今回の問題を大きくしているのは、アメリカの住宅ローンがノンリコースローンであることだ。「ノンリコースローン」とは借入人がお金を返せなくなった時、金融機関は住宅以外の資産を差し押さえられないローンのことである。

  「何のこっちゃ?」と思われた人がいるかもしれないが、要は借金返せなくなったら家を出て、銀行に差し出せば、それ以外の責任は問われないローンのことである。ローン残高が仮に2000万円あって、住宅価値が1000万円しかなくても、銀行は借入人に「足りない1000万円を返せ」ということはできないのである。言い換えると、アメリカでは資産価値が下がってしまうとローンを返すインセンティブがなくなり、家を明け渡す「リターン・キー」現象が巻き起こっているのである。

  上記の例で出たローン残高2000万円、資産価値1000万円の住宅ローンは典型的な不良債権である。極論するとこの1000万円の損失を穴埋めするために、米政府は金融機関に天文学的な公的資金を注入したとも言える。

  日本でも90年に大きなバブルがはじけたが、住宅ローンがリコースローンの形であった。アメリカとは逆でローン残高2000万円、資産価値1000万円の住宅ローンの場合、銀行が借入人に「残りの1000万円を返せ」と言えるローンなのである。この場合だと、資産価値が下がってもローンを返すインセンティブがあるため日本人は自分から家を明け渡すことはなく、ローンを返し続けたのである。

  日本は不良債権処理に15年の年月を費やしたが、基本的に日本の銀行が抱えていた不良債権は法人向けであった。一方のアメリカは、法人と個人両方で大きな不良債権を抱えていることになる。

  金融機関への公的資金注入により問題は終わったとする識者もあるが、民間から公的部分に不良債権が移っただけという考え方もできる。KBSの中にも将来金融機関のトップになる方がいるであろうが、米銀の二の舞は是非とも避けて頂きたいものである(苦笑)。

  

大黒柱


  フランスより HAT です。こちらでは手頃な価格の日本食が少ないため、ベトナム料理屋によく行きます(フランスはベトナムの旧宗主国であるため、ベトナム料理屋が結構ある)。その中でも、ベトナムのフォーに近い麺屋さんがお気に入りです。味的には「きしめん」に近く、もっと言うと「ほうとう(写真参照)」に良く似ているのかな(包丁で切って麺を作っているから)。

  「ほうとう」は山梨の郷土料理で、武田信玄が「宝刀」、つまり刀で麺を切って作り、部下に食べさせたことから「ほうとう」という名がついたらしい。部下の栄養状態も気にしていたとは、現代のスポーツ指導者のようである。

  さて話は変わるが、外国語を学ぶ醍醐味であり苦しみでもあるのは常に知らない単語が出てくることである。最近、大黒柱という英単語が「breadwinner」、つまり食べ物を取ってくる人ということを知り、中々面白いなと感じたものだ。ちなみにフランス語で大黒柱は、中心を示す「pilier」となるようだ。

  武田信玄は栄養のあるものを取ってくる「breadwinner」であり、戦闘の中心に立って戦ったという点で正に大黒柱と言えよう。そんなこんなで、日本に帰ったら「ほうとう」とよく食べるベトナム麺の食べ比べをしようと思っております。

  

2011/01/08

外国語の普及率


  フランスより HAT です。欧州の中には北欧やドイツのように英語が通じることの多い国もあれば、フランスみたいに余り通じない国もあります。日本もどちらかと言えば余り通じない部類に入るのでしょうが、それには歴史的な背景もあるようです。
  
  日本は明治維新の際、全ての学術的用語を日本語訳して導入しました。医学、経済学、物理学など、外国語を用いることなく、研究が行われるような下地を作ることにしたのです。先人達の苦悩は大変なものだったでしょうが、自然科学の分野で日本が最先端を走るきっかけになったともいえます。
  
  フランスも日本同様、全ての用語を自国の言語に変えた国であります。この手法を取ったのは例外的らしく、KBSのA教授によると「全て自国語でやれるのは日本とフランスだけ」とのこと。日本とフランスで英語が通じにくいのは、「使う必要がないから」とも考えられ、一長一短の様にも考えられます。
  
  もう一つ日仏の共通点を上げると、食べ物と美味しさと女性の美しさでしょう。かの有名なKBSのO准教授の名言に、「食べ物が美味しく、女性が美しい国は滅ばない」がありますが、そう考えると日本は大丈夫なのかなぁという気がしてきます。何の根拠もないけど。
  
  但し、フランスの場合は観光客が外国から勝手にやってきてくれて外貨を落とし、「質がいいから」という根拠なき理由で、ブランド品を外国人が大量に購入してくれます。マーケティングでいうと、究極の「プル戦略国家」であり、フランス人が外国語を学ぶ必要が少なく、向こうから「買わせて下さい」と頼んでくるので、しょうがなく売ってやるかという感じかな。
  
  日本の場合は島国ということもあり、自分から「へいお客さん、いい商品がありまっせ」と外国に売り込んでいく必要が今後もあるでしょう。日本が「プッシュ戦略国家」である以上、できるだけ多くの人が外国語を学び、外に出ていかざるを得ないはず。将来的には、日本の若者を海外に送り出す仕事に従事したいと考える今日この頃であります。
  
  

2011/01/07

明るいリーダー

  フランスより HAT です。一緒に働いた上司で今でも連絡を取っている人達がいるのですが、彼らには幾つかの共通項があることに最近気づきました。

  ①基本的に明るい、②否定的なことを言わない、③責任転嫁しない。難しい局面でも、「何とかなるさ」と笑顔でいってくれる人であれば、もう一度やってみようと思うもので、これらの定量化できない要素がトップ・マネジメントになっていく人達には必要なのかもしれません。

  現在の日本の首相は色々言われていますが、話す内容から否定的な単語を省くと支持率が上がるのではないかとひそかに思っています。「最小不幸社会」を「最大幸福社会」にするだけでも、受け取り方は変わるものです。

  元英国首相のサッチャーが、「金持ちを貧乏にしても、貧乏な人が金持ちになるわけではない」と言ったのは有名な話です。日本の首相も、「幸福な人を不幸にしても、不幸な人が幸福になるわけではない」と言って、「皆で幸せになろうぜ」ぐらいの明るさが欲しいものです。

  これからリーダーになる皆さんは是非、今のまま明るいトップになって下さい。

  

2011/01/06

行列の意味


  フランスより HAT です。こちらの寮では契約期限前に退去する場合、1ヵ月前にその旨郵送で書類を送らなければなりません。書留にする必要があったので、学校近くの郵便局にいったところ何と大混雑。

  行列の作り方は国や地域によって、違うのだなと改めて感じました。出身地の大阪では行列を見ることが殆どなかったが、東京では色んなところで行列に遭遇します。東京ではラーメンやドーナツに1時間以上待つ人もいますが、大阪では余りありません。

  中国の上海に行った時、電車の前に並んでいても最後にはぐちゃぐちゃになって、列の意味がないなと思ったものです。

  今日行ったフランスの郵便局では、日本と同様に貯金や郵便、保険などのサービスがあり、窓口もそれぞれ別れていました。困ったのは、誰がどこの列に並んでいるのか分からず、スタッフに聞いたらあっさり一番最初に処理されて、何のための列なんだと不思議に思ったものです。

  今日は殆ど時間がかからなかったものの、一般的にフランスでは列で待たされることが多くあります。スーパーや銀行などでも恐ろしく非効率な手法が取られており、慣れているはずのフランス人でも疲れている局面を目にします。最近、列に慣れてきたのは自分が親仏家になった証拠なのか、こちらでの滞在が残り1ヵ月になったからなのかはまだ分からないのであります。

  

2011/01/05

言葉以外の伝達手段

  
  フランスより HAT です。「高コンテクストと低コンテクスト」、皆さんもお聞きになった言葉と思いますが、こちらの授業ではこれがしょっちゅう出てきます。組織、マーケティング、戦略とあらゆる授業で取り上げられるのはフランスが大陸国家であり、他文化理解が必要な歴史をたどったからでありましょうか。

  前職の研修でもこの概念が何度も出てきたのは、様々な文化を持つ人達がいたことの裏返しかと最近は思っています。アメリカではハグ(軽く抱き合う仕草)は親しい間柄で挨拶ですが、これを日本で異性にするとセクハラ扱いになることもあり、「コンテクスト」を知ることは結構重要なことかもしれません。

  日本は「高コンテクスト」の典型であり、言葉以外の動作がコミュニケーションの重要な部分を占める社会であります。新人研修の時に教わるお辞儀の仕方(15度、30度、45度)やタクシーの座席、エレベーターのポジション等は「高コンテクスト」の象徴でありましょう。フランスはどちらかと言えば「低コンテクスト」に属しており、議論好きで、時折対立を楽しんでいるのではないかというくらい言葉のやり取りを交わす社会であります。

  例外と考えられるのは男女交際の始まり方で、日本では「付き合ってくれ」の言葉がカップル誕生の条件とされることもあり、これは「高コンテクスト」とは相反する文化であります(はっきり言葉にしているから)。

  一方、フランスの場合、挨拶で頬を二回くっつけることが一般的です(男性から女性に行くことが礼儀だが、時々男同士でもやっている)。 好意を持っている相手とは唇に近いところで頬がくっつくので、徐々に距離を詰めていき、「カップル誕生!」となることが多いらしい(詰将棋みたいだ)。

  ここでは「付き合ってくれ」という言葉はない場合が殆どで、英語でもフランス語でもこれに該当する表現はないんじゃないかな(間違ってたらごめんなさい、その代り「愛してるよ」と一日何回も言うな)。この事実も「低コンテクスト」とは矛盾しており、ひとくくりに「コンテクスト」で社会をまとめるのは困難であります。

  フランスは時に「愛の国」と呼ばれ、キャンパス内でも愛が誕生したり崩壊する場面が見られます。日本の男性陣も愛している人には言葉と花束を贈りましょう(低コンテクストと高コンテクストの融合)。  
  

2011/01/04

アジアカップ


  フランスより HAT です。今月開催予定のサッカーアジアカップの観戦のため、カタールへ行く予定にしています。

  選択肢として、準々決勝か準決勝のどちらかを見に行くプランがあるのですが、なかなか悩ましいところであります。というのも、準々決勝であれば日本代表戦がほぼ間違いなく見られるのですが、準決勝だと分からなくなります。

  優勝候補といわれた日本代表は1996年大会で、「80%の力で優勝」というふざけたセリフを監督が吐き、準々決勝で対戦したクウェートにカウンター二発で沈められた苦い過去があります。この大会はアジア一を決めるというだけではなく、コンフェデレーションカップへの出場権がかかるだけに是非頑張ってほしいものであります。

  1993年にテレビで実況中継をみていた「ドーハの悲劇」から18年。今後の日本代表にとって大きな戦いが始まろうとしているのであります。


  

2011/01/03

日本マニア


  フランスより HAT です。外国にいると「日本マニア」と呼ばれる人達に時折遭遇しますが、フランスではその確率が高いような気がします。

  彼らの典型的な質問は、「なぜ豊臣秀吉が将軍になれなかったか?」であり、かれこれ4回くらい聞いたような気がするなあ。日本史に詳しい外国人の中では織田信長(写真参照)が人気で、その理由として、天皇制に従わなかった点があるようだ。

  日本の歴史的人物で天下を取ったり、政変を起こした人達は基本的に天皇制を重んじているようだ。その例として、将軍になったり、太政官政府(明治政府)を作ったりするなどして、天皇の名の下で権力を掌握するのが一般的である。 戦後のGHQでさえそうだった。

  織田信長は当時の天皇から将軍就任の要請を受けていたようだが、これを断り自らの手で新しい政治制度を作ろうと試みていたようである。日本史においてこの行動は例外的であり、「なんで俺が天皇に従わないといけないんだ」という考え方が斬新で海外でも人気のようである。

  ビジネスの世界でも既存の考えを否定するリーダーは人気があり、普通の企業ではあり得ないような資金調達が可能なソフトバンクは経営者はその典型か?但し、ライブドアの例もあるのでやり方を良く考えないといけないのかもしれない。

  現在は戦国時代と違って、新しい考え方やビジネスを導入しても法律や制度が追い付いていないとうまくいかない場合も往々にしてある。そこはやはりバランスなのだろうか。
  

2011/01/02

牛丼とバゲット

  フランスより HAT です。昨日、イスラエルから帰ってきました。ファラエルというユダヤ料理が美味しかったです(日本にもあるか帰ったら探してみよう)。

  さて、フランス人にとってのパンは日本人の米に対する認識に近いような気がします。写真のような50センチくらいのバゲットがどこでも1ユーロくらいで売られています。店によっては紙に包まずそのまま渡されることもあるので、手で握って手で食べる寿司の感覚に近いのかな(全然違うか?)。

  さて、こちらの授業で「Business Economics」という授業があり、これが一番難しかったのだが、とても面白かった。「バゲットの値段がなぜ1ユーロなのか?」という問題に対して、経済学における弾力性を用いて解答するケースがあった。

  これは「牛丼の値段がなぜ280円なのか?」という問題に近くて、解答としては「280円まで牛丼は弾力的であり(価格を下げれば需要が増える)、それ以下になると非弾力的になるから(価格を下げてもそれ程需要が増えない)」という感じ。

  フランスのバゲットも1.5ユーロから1ユーロまで値段を下げたら需要が増えるのだろうが、0.5ユーロまで下げても1ユーロの時とそれ程需要が変わらないと市場が判断しているからこの値段に落ち着いたと経済学は考えるようである。

  牛丼屋の経営陣が弾力性を基に280円という値段設定にしたかどうかは不明だが、日々の業務から経験則的に弾力性を感じてこの価格にしたのかもしれない。そんなこんなでとても牛丼が食べたくなるお話でした。日本に居た時には絶対食べなかったのになぁ。